電機連合

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ボランティア活動

電機連合が実施しているボランティア活動について、紹介します。

第3次東北ボランティア感想文

東北ボランティアを終えて

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パイオニア労連 割田 直人

今回のボランティアを終えて一番自分が強く考えさせられたのは『復興』という言葉の意味合いでした。ボランティアに行く前には震災後の津波によって被害を受けた場所が整備されても、家が建つことが『復興』という感覚でいましたが、それだけではなくそこに人が戻ってきて、明るく人生を過ごすことができる、それが本当の意味での『復興』なのだろうと感じることができました。


日程としては1日目にオリエンテーションを行ってから2日目から防災学習として語り部の方の話を聞きながら被災地を巡りました。工事車両が行き交い、一歩一歩街の整備が進んでいることが感じられるものの、津波の爪痕はまだまだ大きく残っており、語り部の方と相まって改めて想像以上の影響があったことを実感することができました。特に印象に残っているのは爪痕以上に、語り部の方々の「津波になった時にはこう逃げなさい」という教訓でした。それは本当に命の危機に合い、その上で何とか生き残り、もし同じことがあってもあなた方は生き残ってほしい、という願いと感じることができ、自身が津波に合うという想定ができていない自分にとっては気を引き締められる思いでした。


2日目の午後と3日目の午前中には高田松原の再生活動のお手伝いとして草取りと苗の風よけの竹簾作成を行いました。国の名勝として7万本あった松林は写真で見てもその美しさを感じることができましたが、今は残念ながら1本も残っていません。かつては防潮林としての意味合いがあったものの、今高田松原の復活にどのような意味があるのかを考えた時に、一番は心の支えであった美しい風景をもう一度見たいという想いなのだろうなと高田松原を守る会の鈴木理事長のお話を聞いて感じました。作業は36度という猛暑の中であり、非常に厳しいものでしたが、高田松原に向けての想いを感じた後であり、自然と自分のできることを精一杯やろうと体を動かすことができました。


3日目の午後から「うごく七夕祭り」の準備を行い、4日目は本番。非常に重たい山車を地元の方々と他団体のボランティアの方々とも協力して引き、街を練り歩きました。震災があった年も行い、今も年に一度続いているこの祭りが町にとってどのような意味があるのかを考えた時に、やはり生きていく希望の一つなのだろうなと感じました。地元の人たちだけの人数ではもう昔と同じ大きさの山車を引くことはできませんが、そこを私たちボランティアがお手伝いをし、山車を引くことができます。祭りの途中ですれ違った別の地区では自分たちでできることを、ということで山車を小さくしていました。それぞれの考えがあってこの形になっていると思いますが、本質は変わらず、祭りを生きがいの一つとして祭りを続けていこうという気持ちは変わらないのだろうなと感じました。私は山車を後ろから押す役目を持っていたのですが、汗だくになりながら聞いていた山車の上の太鼓の音がまだ耳に残っています。


高田松原も七夕祭りも悪い言い方をしてしまえば生きていく上では必要ということではないのかもしれません。ただ明るく人生を過ごすための一つの支えとして重要な役割があり、今ボランティアとしてできることの一つはその必要以外の大事な部分を取り戻すことのお手伝いなのだろうと感じました。


またもう一つ印象的だったこととして、私は家族で参加した方々のグループの実行委員だったのですが、参加した家族の子供たちが自分なりに町のことを考えていることでした。「将来的に減っていく語り部に自分がなるんだ」、そう話す子もいて、改めてテレビで見るだけではなく実体験が大事なのかを感じました。自分としても今回の経験を自分の中だけにとどめず、多くの人に伝えていこうと思います。また今回の東北ボランティアを先導していただいた電機連合・地球緑化センターの方々、また受け入れていただいた陸前高田の方々に感謝いたします。本当にありがとうございました。

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