
弓場 孝紀
山を削り、轟々と音を上げて盛り土を吐き出していたベルトコンベアがなくなっている。三度目の夏となる陸前高田は、目に見える形で変化を感じさせ、私たちを迎え入れてくれた。海沿いから山へ向かう坂道を登っていると、土煙と夏の日差しが入り交じり汗ばんだTシャツの匂いが鼻をくすぐる。眼前に広がるのは、去年とは違う景色。盛り土が幾重にも積み重ねられ、そこから見えていたはずの海が見えない。昨年、七夕祭りで通った市街地へ向かう街道は、封鎖されている。あの、何台もの山車が集合した駅前ロータリーの跡地には、足を踏み入れることは出来ない。
しかし、一年間の町の変化を受け入れた私の目の前で、復興支援のトラックは相変わらず砂埃をまき散らし走っている。
どこまでいけば、復興と言えるのか。人によっては、再生という言葉も使う。いずれにせよ、昔と同じ景色は戻らないということを目の当たりにして、この町は新しく作りあげられている最中だということを実感する。その上で、今まであったものをどのような形で、そこに加えていくのかということを考えさせられる(あるいはどう調和をとっていくのか)。
第三次東北ボランティアは、大きく2つの柱で構成している。ひとつは、名勝高田松原の再生活動。これまで、ときには松の育苗場の草むしりからはじまり、鍬を使った畑の開墾、松苗を海風から守る竹簾作りまでお手伝いしてきた。もうひとつの柱は陸前高田大石町の七夕祭りの参加である。「動く七夕」を標榜する山車は写真を見ればわかるように巨大で、大勢でなければ動かすことは難しい。この山車を引っ張るのは、ボランティアを超えた共同作業と言えるのではないかと個人的に感じている(達成感も大きい)。この山車は、津波の被害を受けたものの震災のあった2011年も休むことなく、太鼓を鳴らしたそうだ。それから毎年、山車を引く行程は道路整備や嵩上げ工事の進捗等との兼ね合いで行政との調整が入っている。しかし、あと少し経てば、新しい街道が出来るとの話も聞いた。そして、そこからさらに海に近い場所で、松苗を植樹する計画も進んでいる。町づくりと松林づくりが次の局面を迎えるのはもうすぐだ。
この活動を通して、来て見て触って、被災地と心をつなぐ気持ちが一人でも多くの方に伝わることを願います。
参加者をはじめ、高田松原を守る会や大石七夕祭り組および関係諸団体のみなさま、そして実行委員や地球緑化センター事務局など、一人ひとりに支えられこの活動が成り立っていることに感謝します。ありがとうございました。