<復興道半ば>
震災より6年5カ月が経過したが、陸前高田は未だ復興道半ばである。2年前の『第2次東北ボランティアin 陸前高田市』や昨年の『第3次東北ボランティアin 陸前高田市』に参加した際より大きく街の様相が変化しているのはもちろん、今年の6月に実施された第1次高田松原再生ボランティアに参加した時から、今回のボランティアまでの1カ月半での変化は、復興工事は着々とスピーディに進んでいると更に感じたが、嵩上げ工事の完了には程遠く、被災地以外で居住している参加者の多くは「復興には程遠い」と感じた。
一方で、今年より始まった高田松原再生計画による植栽や、嵩上げされた土地に複合商業施設のオープンもあり、被災地の皆様は未だ心が癒えきれていないが、一歩ずつ前を向きながら生活していると感じた。
<交流人口>
被災地に訪れると、地域の方々からここ数年耳にするのは、「忘れないでほしい」・「陸前高田に来てほしい」。
陸前高田市長の講和では、「震災による人口減少が有った。高齢化が進む辺境の土地である陸前高田に若者の転入を求めること自体は無理である。むしろ、陸前高田に住んでいる若者は、大学進学や就職等で転出が増える一方である。これは、仕方がないことである。現実味のない、人口増加を目指す政策を進めるよりも、陸前高田と交流する人口を増やすことによって地域に貢献することが賢明である」と有った。若者が転出したら、その土地で陸前高田のPRを実施してもらう、帰省の際には転出先の情報を持ち帰って地域の向上に役立って欲しいとの考えである。また、講和終了後に参加者から「私たちにできることは何が有るのか」と質問が有り、「復興に向けて求めているのは、金銭でも作業でもなく、陸前高田市に来て現在の状況を見ることや、市民との交流である」と回答が有った。
防災学習では、震災遺構として残された建造物(奇跡の一本松・気仙中学校・旧下宿定住促進住宅・旧道の駅高田松原 タピック45)の見学および説明があり、震災の記憶を後世に伝える目的が主であるが、復興のシンボルである奇跡の一本松は、知名度があることから陸前高田市へ来訪するきっかけにもなることへの期待もある。
高田松原再生活動では、特定非営利法人 高田松原を守る会が、国の名勝「高田松原」を守り育て、次世代に伝え残すことを目的に活動を実施してきたが、東日本大震災によって壊滅的な被害を受けて、高田松原は今後どうなるのか、守る会は存続するべきかなどの議論が重ねられ、市民が高田松原での思い出が強く、国や県を巻き込み再生活動に取り組むことになったと聞いた。再生には早くとも50年はかかると言われているが、再生後は市民の憩いの場として望んでいることはもちろんであるが、市外・県外からの観光者の誘致への期待もある。
七夕祭り支援では、七夕祭りの歴史の学習から祭り本番までの支援を実施した。その中で、震災の年から七夕祭りを実施するまでの、地域での議論の様子や活動の内容等も学び、市民の方が七夕祭りに寄せる思いを参加者全員が共感する。電機連合が大石地区の七夕祭りを支援し始めて4回目の今回は、これまでの支援実績や、多くのボランティアリピーターが参加していることにより、ようやく地域の方々の心の壁が低くなってきており、交流人口増加の一助となっていた。また、被災によって大石地区より県内外に避難している方も、祭りのために一時帰省で戻っていた。
その他、色々な場面で多くの地域の方々と接する機会があり、全ての方が「来てくれてありがとう」「また来年も来てほしい」「陸前高田の現状を伝えてほしい」と話をされた。
今後も、私にできうる限りの被災地と心をつなぐ、被災者の皆様に心を寄り添った活動を続けていきたいと改めて感じました。