電機連合

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ボランティア活動

電機連合が実施しているボランティア活動について、紹介します。

第5次東北ボランティア感想文

ボランティアに参加して感じた 「和のこころ」

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2班 澤水 京子/三菱電機労連

7年前に東日本大震災のニュースを見た時、声も出ないほど衝撃的だった。現地へ行き微力でも力になりたいという想いは費用・家庭事情により断念し自分が出来る事(募金・おらほのマルシェ等)を積極的にしていた。そんな中、2年前に熊本地震を経験、被災中の生活・再建を目のあたりにした。報道は毎日の様に悲惨な状況レポートや繰り返し流れる映像。TVに映る映像では伝わらない現地の惨状、被災者の心情、現場の空気等、五感で感じることが山ほどあるが映像ではどうしても表面的な所だけしか伝わらなかった。

悲惨な地震・・津波は無かった熊本、悲惨な地震も津波で全て失った海岸沿いの町の1つ陸前高田市。昨年6月この電機連合企画の植樹に初参加した。交通費を負担して頂ける事で九州から参加する夢が叶った。現地で見たものは大津波がこんなにも一瞬で自分の大切なものを全て奪ってしまうものかと眼で観て、語り部の方の話を耳で聞き愕然とした。地震・津波を同時に体験された方々はどんなに辛く悲しく切ないものだったかと胸が痛んだ。今年は6月の植樹に続き、「夏のボランティアにも参加し地域の方との交流・七夕のお手伝いをしたい!」という思いから上司を説得し、快く参加させて頂いた。1週間のプログラムには防災学習、語り部による当時の話や現地視察、津波で流された防風林再建の為の植樹、八木澤商店の報道では知りえなかった現場の体験談等もり沢山だったが、その中で一番印象に残ったのが、町の2/3が流された陸前高田地区大石町の「うごく七夕まつり」の準備から山車引きだ。

残った町民だけでなんとか七夕祭りを続ける町、参加を諦めた町、他の支援を受入れ続ける町。大石町は先人の想いやこの伝統を絶やしたくない、鎮魂・復興・この山車を見て昔を思い出し皆が元気になり後世にも続け繋げたいという強い想いから支援を受入れる苦渋の選択をされたそうだ。「今年も来てくれてありがとう」とまるで故郷に帰ってきたかのように笑顔で受入れてくれた。大石町の想い「変り果てたるこの町に 年に1度の華咲かせ 熱き想いを囃子に乗せて 天へと響けこの音色」に寄り添い私もこの日は大石町の町民へとなり大声で囃子・太鼓に合わせ、赤ちゃんから高齢の方々と大声で掛け声を掛けながら町民と一体となり町中を練り歩いた。

台風の影響で午前中は雨のなか山車を引いたが、午後は公民館を出て戻るまで雨が止み護られた素晴らしい祭りを終わることができた感慨深いボランティア活動となった。

「熊本から応援に来ました!」の言葉に「熊本は大変だったよね。大丈夫だったの?家は?家族は?」と労いの言葉。「熊本は家が傾き、潰れても大切なものは探せるから陸前高田の方に比べたらまだ幸せです。ここは何もかも無くなった事に胸が痛くなります」と話すと、「私らは何もかも無くなったから前に進める・進むしかないの。熊本の人は色々な思い出が探せば出てくるからあれもこれもと捨てきれず前に進めないもの。だから私らはまだ幸せだよねって話してたの」と。被災中の苦労話など語りあった後は「災害はお互い様。命あっただけでも私達幸せだね」お互い笑った。日本人ならではの**に比べたら私はまだ幸せだという「和のこころ」をしみじみと味わった時間でもあった。

最後に事務局、関係者の方々へ
参加者への安全確保から健康管理全てにおいて至れり尽くせりのおもてなしや、連合の企画により他組織の方々との交流の場を与えて頂いた事。知り合った仲間とよりお互いの想いを更に深められた事を深く感謝致します。またこれからもこの取り組みを長く継続して欲しいと切に願います。

雇用の安定と電機産業の発展

電機連合の政策・制度実現に向けた取り組みを紹介します。

電機連合と政治

みなさんに身近な政治について、なぜ電機連合が参画するかなどをわかりやすく紹介します。また、組織内議員、電機連合議員団ネットワークを紹介します。