初めに、電機連合の社会貢献活動の取り組みを通じて、陸前高田市でのボランティア活動に参加の機会を頂けましたことを心から御礼を申し上げます。電機連合事務局の皆様、地球緑化センターの皆様ありがとうございました。
東日本大震災から7年以上が経過した今、「もう復興はどれほど進んだのだろか」「震災の爪痕も感じることなく、町にもだいぶ活気が戻っているだろう」。正直そんな想像を抱きながら現地を訪れました。 しかし陸前高田で目の当りにしたものは、それにはまだ遠い「復興半ば」の景観でした。
かさ上げ造成した高台整備は進んでいるものの、中心市街地となる商業店舗や住宅はパラパラとしかなく、街には人の暮らしの匂いや賑わいを感じられる程にもなく、7年経ってもまだここまでなのか・・そんな印象を受けました。
また、海岸線に新たに整備された防潮堤。高さは12m以上、全長は2kmにも及び、近づくとそびえ立つコンクリートの壁が、まるで堀の中にいるようにさえ感じる。万が一の大津波から身を守るため、巨大な防潮堤は、人命最優先を考えれば、他の選択や反対をすることはなかなか難しかったのだろうと思います。
しかし、かつて白砂青松といわれた美しい景観はもうそこにはありません。高田松原津波復興祈念公園計画の一角に、NPO法人の高田松原を守る会の皆さんが50年先を見据えて、失った松原の景観を取り戻そうと懸命に植樹活動をしています。ふるさとの将来を想うその活動にはとても感銘を受けました。ですがその場所は普段は近づくことのない防波堤の外側に限られています。これまで見事な景勝地を観に訪れていた観光客や、この街から離れていった地元の皆さんが、再びこの街に戻ってくる。そんな活気ある魅力的な街に再生していくには、これからどうしたらよいのだろう。この現状を受け入れ、これまで海とともに生活があったこの街に、かつての賑わいが戻るその時こそ、ようやく復興と言えるのかも知れません。
そして、その復興のために私たちが"今"できること。それがこのボランティアなのだと感じました。
『防災学習』では、大津波により壊滅的になった当時の被害の大きさ、ゼロから再出発した街作りの様子など実情を知ることができました。『動く七夕まつり』の山車の飾りは、言い表せないほどに煌びやかで、日が暮れて中心市街地に各地区から集結した山車の光景は、それはもうお見事!!鎮魂の祈りともなる響き渡る太鼓やお囃子の音色が、なんとも幻想的な雰囲気に包まれます。太鼓やお囃子を奏でる大石地区の皆さんの姿を見ていて、震災を乗り越え、踏ん張り、地元を愛し続け、この先の世代へも陸前高田をつなげていきたいという想い、頼もしさや誇りさえも感じ、とても感慨深いものがありました。今は震災により山車の引手が少なく、私たちがボランティアで山車を引かせてもらえるのは大変光栄なことなのですが、いつかまた大石地区から離れた住民がここへ戻り、かつての様な賑わいで山車を引き、本来の"地元の祭り"が戻ることを私は切に願っています。
被災地におけるボランティアのニーズは、現地の復旧作業から、被災者の心身のケアやコミュニティ形成に変化している様です。今回のボランティアに参加し、ボランティアとは何か、復興とは何か、を考える良い機会になりました。現地に赴き、復興の実情を肌で感じ、そして地元の方と交流する。そんなボランティア活動が今大切なのだと思います。まだまだインフラが整わない環境で、力強く明日に向かう地元の皆さん、地域未来のため最前線で地道な努力を続ける高田松原を守る会の皆さん、復興・振興のために様々な課題を乗り越えていく皆さんの姿をまのあたりにして、これは決して他人事ではない、いつか身に起こるかもしれない大災害のためにも、ボランティア活動支援をすることは人類共通の責務とも思えました。時間経過と共に防災意識はどうしても薄れるものですが、この未曾有の大災害を風化させることなく教訓として、これからも等身大で出来る社会貢献をと考えています。