歴史と伝統、新しい市民が一体となったまち
弥生時代の集落跡や古墳も残る古くから人が住んでいた尾張旭。戦国時代、小牧長久手の合戦で豊臣秀吉の甥「秀次」が徳川勢によって敗走した古戦場は、今や住宅街となっております。
また、市を東西に横断するように名古屋市に向かって流れる矢田川は、今では市民に潤いと安らぎを提供していますが、戦時中は軍需工場を爆撃に向かうB29爆撃機の通り道になっており高射砲の破片が川そばの民家に落下したそうです。
加えて市内の各地域には無形民俗文化財「棒の手」「打ちはやし」「ざい踊り」「馬の塔」が住民の努力により複数の流派が残っています。尾張旭市は歴史と伝統そして新しい市民が一体となった人口約8万4千人の住みやすいまちです。
地域消防防災施設の完成により住民の長年の不安が解消
様々な好影響をもたらす
愛知県は歴史的にみても災害の多い地域であるものの、尾張旭市の災害被害は比較的少なく、そのことは地理的な条件のみならず住民の心構えや自治会、消防団、自治体との連携による協力体制など、日常の備えの賜物だと理解しています。
一方、地域の課題として、市域を南北に分断するように流れている矢田川の橋が地震や水害により崩落した場合の救援・防災体制の脆弱性が、特に川から南の地域において長年懸念されていました。
こうした状況の中、矢田川南側にある消防団第六分団車庫の老朽化に伴う建て替え工事の検討が行われていました。当初は同じ場所での建て替えが計画されていましたが、「川で分断されかねない南部市域の消防や防災に資する施設にするべき」との地元自治会や有志の方々からの熱い想い、その必要性が行政にも理解され、別の場所に建て替えが行われるよう自治体の方針が策定されました。さらに地元地権者の協力もあり、巨大地震発生時に自衛隊の活動拠点となる市有グラウンド近傍にある一等地を譲っていただくこともできました。こうして「消防団」、「救急隊」、「南海トラフ巨大地震の防災」の役割を一体化した地域消防防災施設「ほんまる」が、令和3年6月に完成の運びとなりました。
この施設の完成により、住民の長年の不安解消、救急車到着までの時間短縮のみならず、地域住民の防災教育の拠点として、例えば初期消火設備「スタンドパイプ」の住民講習会場となる等、尾張旭市民にとって単なる一施設の完成にとどまらない好影響を与えています。
消防団員の一員として
地域防災に欠くことのできない消防団。尾張旭市には6つの消防団があり、私が所属する日立グループの会社も自衛消防隊を通じた密接なつながりがありました。今から10数年前、ひょんなきっかけから地元の消防団に加盟することとなりました。幸い、消防団では素晴らしい先輩や仲間に出会え、日ごろの訓練等や地域の行事のお手伝いを続けています。 写真は、地元校区で開催しているふれあい運動会での各団体対抗リレーの様子です。「消防団遅いーぃ!」の励ましの声援もむなしく最下位。表彰式では特別賞を毎年頂いており、地域との結びつきの強い自慢の消防団です。
市原議員ってどんな人?
愛知地協事務局長 横山 治郎さん
市原誠二議員は見た目通りの知性と誠実さがある優しい方。しかし強い信念と意志を持ち、結果を出す行動力もありとても頼りになります。
日立製作所出身の経験を生かして尾張旭市のICT化を進める等、電機出身者らしい働きを行うかたわらで、将来介助犬になる可能性のある子犬を約1年間ご家庭で愛情たっぷりに育てる活動をボランティアで行う一面も。今年は4頭目のゴールデンレトリバーを育て中。
「いっち~」こと市原議員を一言であらわすなら「生徒会長」。みんなの声を聞き、取りまとめリーダーとして実行していく。同級生でありながら尊敬しつつ応援したくなる議員です。